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第13回. [序章] ~ 麻雀「プロ」の創生、共生、新生 ~⑬(バビィの新・「プロ論」)
[更新日:2024/07/30、公開日:2017/03/01]
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月刊「麻雀界」で連載されていた、バビィの新・「プロ論」。以下、「2017年2月1日発売号」の連載内容を特別に掲載させて頂いています。(太字・色づけ等は当サイトにて付与)
▼▼▼ ここから馬場プロの連載より ▼▼▼
将来の麻雀プロへの思想
昨年の11月、第42期王位戦の決勝が開催されました。
最終戦のオーラスで樋口徹プロが緑一色をアガって大逆転優勝。
劇的な幕切れとなったことはまだ記憶に新しいと思います。
▼ 日本プロ麻雀連盟 YouTubeチャンネルより「緑一色」動画(6分31秒)
現存する麻雀タイトル戦では最古の歴史を持つのが、この王位戦です。
設立は1973年。
初めて企業(麻雀用具メーカー)をスポンサーに付けたタイトル戦として話題を呼びました。
第二期では挑戦者に阿佐田哲也、小島武夫、古川凱章、田村光昭の麻雀新撰組の面々が顔を並べ、麻雀ファンの間で大きな注目を集めたのです。
そして1977年、第五期王位戦。
挑戦者の中に若き日の荒正義プロ(現日本プロ麻雀連盟副会長)の姿がありました。
荒正義プロは古川凱章氏の年間順位戦を経て1976年、第一期最高位戦のBリーグに選抜されて出場。
見事優勝を果たし初代の「新人王」に。
当時「麻雀プロ志望の若者たち」の中で、荒プロは頭ひとつ抜けた存在になりつつあったのです。
その荒プロがメジャータイトルに挑む。
「麻雀プロ志望」の同志たちは、期待と羨望の眼差しで対局を見つめ、闘いの経過に一喜一憂しておりました。
僕はこのとき、高校生ながら採譜者として決勝戦の場にいたのであります。
会場は王位戦のスポンサーである「かきぬま」さんの直営店。
溜池交差点の近くにある荘厳な雰囲気の高級麻雀荘。
タイトル戦の決勝戦に相応しい会場といっていいでしょう。
シーンと張り詰めた空気の中、荒プロが苦しい局面を迎えたとき、突如、会場の一隅から声が――
「荒正義!頑張れ!」
それは会場内に響き渡る大声でした。声の主は、何と小島武夫氏。
小島武夫氏がわざわざ観戦に訪れていたのも驚きなのですが、それより荒プロへ声援を送ったことにびっくりしました。
古川凱章氏の弟子的立場にあった荒正義プロを激励するために、人目も憚らず大声をあげるとは、それまでの「小島武夫」のイメージにはなかったからです。
おそらく荒プロを始めとする「麻雀プロ志望の若者たち」、彼らを小島武夫氏は「仲間」として認知し始めたのでしょう。
もしかしたら、その先に「プロ団体」の設立を考えていたのかもしれません。
小島武夫氏の応援の効果か、荒正義プロは優勝し、第五期王位の座に就位。
これをきっかけに、近代麻雀やプロ麻雀で「麻雀プロ志望の若者たち」が露出するようになったのです。
この頃、小島武夫氏の事務所は大久保にありました。
ここで誌上対局や若獅子戦のリーグ戦が行なわれることもあり、僕は学校帰りにちょくちょく遊びにいっていました。
今でも覚えているのは、事務所のドアに飾られていた木札。
そこには筆文字で「プロ選手協会設立準備室」と記されていたのです。
小島武夫氏もまた、古川凱章氏と違ったアプローチで、将来の麻雀界の青写真を思い描いていたのであります。
荒正義プロが活躍し、他の若手プロたちも台頭するようになって、自然にプロ団体やプロ選手協会みたいな組織をつくったほうがいいのではないか、という空気が漂い始めました。
ただ、それはあくまでも「空気」であって、気運が高まるといったようなレベルではありませんでした。
このとき阿佐田哲也氏が、対談の席で踏み込んだ発言を披露しています。
一部を抜粋して紹介しましょう。
阿佐田「麻雀タレントのこれからの生き方には二つあると思うんですね。
一つには実生活や社会の表面から麻雀を切り離し、麻雀界を特殊村にして魅力を保つことです。
もう一つは、前に書いたことがあるけれども、麻雀タレントにプロレスのような渾名を付け、絵空事の面白さで麻雀界を沸き立たせていく。悪ふざけにならず、水際立ったタレント振りが条件になるけど」
麻雀タレントとは、ようするに麻雀プロのことですね。
阿佐田氏は将来のプロ麻雀界に向けて、「特殊村」にするか「プロレス化」することを提言されていたのです。
今思えば、これはまさに慧眼でした。
しかし事態は、阿佐田氏の提言とは別の方向に進んでいくのであります。
(つづく)
▲▲▲ ここまで馬場プロの連載より ▲▲▲
▼ 上記は、月刊「麻雀界」2017年2月1日発売号に掲載された内容です。