当サイトのリンクは「広告を含む」ものがあります。
第4回. [序章] ~ 麻雀「プロ」の創生、共生、新生 ~➃(バビィの新・「プロ論」)
[更新日:2024/07/30、公開日:2016/06/01]
バビィの新・「プロ論」目次 へ <<
月刊「麻雀界」で連載されていた、バビィの新・「プロ論」。以下、「2016年5月1日発売号」の連載内容を特別に掲載させて頂いています。(太字・色づけ等は当サイトにて付与)
▼▼▼ ここから馬場プロの連載より ▼▼▼
麻雀ブームの到来
1970(昭和45)年、メディアが主催する日本初の「麻雀タイトル戦」が誕生しました。
その名も「麻雀名人戦」。
出場選手は次の五名(敬称略)。
阿佐田哲也(作家)
小島武夫(麻雀評論家)
鈴木栄喜(日本麻雀連盟)
村石利夫(日本麻雀道連盟)
青山敬(日本牌棋院)
このタイトル戦の仕掛け人は週刊大衆(双葉社)編集部のY氏とM氏でした。
Y氏は「阿佐田哲也」の命名者と言われ、後に小説家として活躍。
またM氏は双葉社から夕刊紙の幹部へ転身。別名で麻雀戦術書や麻雀劇画の原作で多くの名作を著しました。ようするにY氏もM氏も才能豊かな編集者だったわけです。
麻雀放浪記の阿佐田哲也、11PMの小島武夫、そして熱狂的な麻雀ブーム――
これらの背景があれば、有能なY氏とM氏が麻雀の「商品化」を考えるのは自然な流れだったかもしれません。
週刊誌の商品ですから、読ませるものでなければならない。
小説やコラム、戦術論ではなく、もっと麻雀ファンを夢中にさせるもの。できれば本誌の柱となるような企画。そこで編み出されたのが「麻雀名人戦」でした。
せっかくですので、第1期の出場者である鈴木栄喜氏のエッセイから、麻雀名人戦回顧の箇所を抜粋、引用させていただきます。
それから暫くして、週刊誌「週刊大衆」主催の麻雀名人位決定十番勝負が行われた。
出場の五人(一人ヌケ待ち)は、阿佐田哲也氏(註一)、小島武夫氏(註二)、村石利夫氏(註三)、青山敬氏(註四)と、連盟推薦の私であった。
(註一)阿佐田哲也氏は、〝朝だ徹夜〟をもじったペンネームで、麻雀放浪記その他の著書で、その道では余りにも有名。読みの深さは百戦練磨の腕前。その後色川武大として直木賞受賞。
(註二)小島武夫氏は、日本テレビの11PMの麻雀コーチ、テレビで牌のツミコミ・すり替えを実演して見せて、問題をかもした。そして決め打の名手であった。
(註三)村石利夫氏は、日本麻雀連盟から分派して、日本麻雀道連盟を主宰、麻雀教室も経営、数多くの麻雀テクニックの著書あり。早上り名手として業界でも有名。
(註四)青山敬氏は、連盟を飛び出した鬼才・天野大三氏の日本牌棋院に属し、その腕前は師の天野氏を凌ぎ、ヒキの強さには定評がある。
戦いは十番勝負で(一人ヌケ待ち)、各家の後には記録係がひかえ、ツモった牌・捨てた牌を克明に速記し、あとでトレース出来る仕組みであった(インチキは出来ない)。
戦績は、一回戦ごとに週刊誌に掲載され、一〇週間に亘って連載された。全てが記録されているので、観戦記はその記録をべースにして、色々な場合を想定して解説され(中略)十番勝負でも、一人ヌケ待ちするから、一人八荘勝負することになる。
私は、最終持点二万点を割ることはなかったが、トップになったのは二回にすぎない。それにひきかえ、青山氏はハコテンに近い回が二回あったが、トップを五回確保した。
注目すべきは〈各家の後には記録係がひかえ、ツモった牌・捨てた牌を克明に速記し、あとでトレース出来る仕組みであった(インチキは出来ない)。戦績は、一回戦ごとに週刊誌に掲載され――〉の部分ですね。
商品としての「誌上対局」の誕生といっていいでしょう。
もちろんそれ以前にも、記録を採り、牌譜や観戦記等が発表されたことは度々ありました。
しかし週刊誌の目玉企画として麻雀対局が連載記事となるのは初めてのことだったのです。
[筆者注]実はこの年、週刊ポスト(小学館)で「5週勝ち抜き有名人麻雀大会」の連載も始まるのですが、名人戦とどちらが先だったか調べがついていません。判明次第ご報告させていただきます。
この企画のさらなる狙い
そして、もうひとつ注目すべき点が、言わば麻雀名人戦の隠れポイントみたいなものなのですが、日本麻雀連盟、日本牌棋院、日本麻雀道連盟の各団体から選手が選ばれていることにあります。
これは何を意味するのか。
小島武夫氏はMONDOTV のインタビューで次のように答えています。
当時いくつかの麻雀団体があったんだけど、その各団体の主だった人、日本麻雀連盟理事長の手塚晴夫さん、日本牌棋院会長の天野大三さん、それと日本麻雀道連盟会長の村石利夫さん、こういった人らを(名人戦に)引っ張り出してやろうかという話になったんだ。
結局、偉い人本人は出てこなかったんだけど――
なぜ「偉い人たち」を引っ張り出そうとしたのでしょう。
そこに僕はY氏とM氏の深い狙いがあったと推察しています。
(つづく)
▲▲▲ ここまで馬場プロの連載より ▲▲▲
▼ 上記は、月刊「麻雀界」2016年5月1日発売号に掲載された内容です。