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第8回. [序章] ~ 麻雀「プロ」の創生、共生、新生 ~➇(バビィの新・「プロ論」)
[更新日:2024/07/30、公開日:2016/10/01]
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月刊「麻雀界」で連載されていた、バビィの新・「プロ論」。以下、「2016年9月1日発売号」の連載内容を特別に掲載させて頂いています。(太字・色づけ等は当サイトにて付与)
▼▼▼ ここから馬場プロの連載より ▼▼▼
"競技麻雀" の確立に捧げた古川凱章氏
麻雀新撰組の隊員であり、第三期麻雀名人位を獲得した古川凱章氏が主宰を務めた年間順位戦。
それは異色なルールとシステムで構成された年間リーグ戦でした。
娯楽や博打の小道具ではなく「競技」としての麻雀の確立を目指す、それが古川凱章氏の目的だったのでしょう。
プロ志望を含め将来の麻雀界に期待を募らせる若者たちが、この年間順位戦に集まってきました。
ここから僕の回顧録となります。
僕が年間順位戦に参加したのは昭和51年(1976年)。
おそらく第三期だったと思います。
当時、高校生ながら近代麻雀でバイトしていた僕は、編集者の方から勧められ、恐る恐る会場に足を運んだのです。
場所は東中野、会場は確か「竹林」。
何十卓もある大きな麻雀荘でした。
会場内は大きな熱気に包まれていました。明日の麻雀界を夢見る若者たちで溢れかえっていたのです。
年間順位戦のシステムを簡単に説明すると、トップを取ると+1P得て上位の卓に進み、ラスを引くと△1Pで下位の卓に落ちる。
たとえばA卓~F卓まであったとして、C卓でトップを取れば次戦はB卓に、ラスを引けば次戦はD卓にいくということです。
また各卓にはポイントがあり、A卓~F卓設定ならA卓は6P、B卓は5P……F卓は1Pになります。
つまり、C卓でトップを取れば卓ポイント4Pとトップ+1Pで計5P。
ラスを引くと卓ポイント4Pと△1Pで計3P。
2着と3着は卓ポイントのみの4P。
これらが各選手の獲得ポイントとなるわけです。
そして年間100荘打って累計ポイントが一番高かった選手が優勝。今見ても、実に競技的で面白く、よく考え抜かれたシステムだと言わざるを得ません。
【注】個人的な記憶で綴っていますので、間違い等がありましたら編集部までお知らせください。
さて、初参加の僕は当然最後尾の卓からのスタートとなります。
これがP卓だったかQ卓だったか、もう忘れてしまったのですが、とにかく会場内の卓では収まらないことが判明し、僕らは階下に移動。
そこは個室で、しかも堀炬燵の卓。
最後尾の卓なのに、こんな高級な所で打っていいのかなあ、と恐縮したことを覚えています。
未来の麻雀界を形成していく若手たちとの出会い
そのとき対面に座っていた、こちらも初参加だという年上の青年。
細身の身体に今風のファッション、知的な眼鏡と軽妙な語り口。
初対面だったのですが、僕はその年上の青年に惹かれました。
「キミは高校生なの? すごいなあ、こういうところに打ちにくるなんて」
「いえいえ。お兄さんは大学生なんですか?」
ニコリと笑って頷く彼。
すると下家の、ちょっとご年配のオジサマが、
「彼、東大生なんだよ」
「え!? 東大!」
現在はわかりませんが、当時は「東大神話」みたいなものがあったので、僕は驚いてしまったのです。
そして、この東大生こそ誰あろう、麻将連合の現GM・井出洋介プロだったのです。
年間順位戦で出会った「プロ志望」の若者は井出さんだけではありません。
田中利春さん、久保谷寛さん、安藤満さん、西田秀幾さん、荒正義さん、瀬田順由さん、青野滋さん、高見沢治幸さん etc…
後にプロ麻雀界の重鎮になっていく面々が、古川凱章氏主宰の年間順位戦に集結していたのであります。
そして、この年、麻雀専門誌「プロ麻雀」(新評社)が季刊誌として発刊されました。
目玉企画は「阿佐田哲也杯」。
麻雀界の芥川賞と銘打ち、新世代のプレーヤーを発掘することを目的とした新人戦。
阿佐田哲也杯の創設により、若者たちのプロ志望熱、競技麻雀熱は、さらにヒートアップしていったのでした。
(つづく)
▲▲▲ ここまで馬場プロの連載より ▲▲▲
▼ 上記は、月刊「麻雀界」2016年9月1日発売号に掲載された内容です。