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第9回. [序章] ~ 麻雀「プロ」の創生、共生、新生 ~➈(バビィの新・「プロ論」)
[更新日:2024/07/30、公開日:2016/11/01]
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月刊「麻雀界」で連載されていた、バビィの新・「プロ論」。以下、「2016年10月1日発売号」の連載内容を特別に掲載させて頂いています。(太字・色づけ等は当サイトにて付与)
▼▼▼ ここから馬場プロの連載より ▼▼▼
競技プロ〟の誕生と年間順位戦
今から40年前の、昭和51年(1976年)。
改めて思い返してみても、この年が麻雀プロ「創生」へのスタートだったような気がします。
もちろんそれ以前に麻雀新撰組の存在はありました。
小島武夫氏や古川凱章氏ら新撰組のメンバーは、ファンから「麻雀プロ」として認知されていたのです。しかし、そのプロ像は、どちらかというとタレント的イメージのほうが強かった。
タレントではない麻雀プロ、即ち「競技プロ」への模索が行なわれ出したのがこの年(昭和51年)だと僕は考えています。
その発火点は古川氏が主宰を務めた年間順位戦でした。
阿佐田哲也氏はコラムや著書の中で、古川氏のことをこう評しています。
―「虚」ではなく「実」を求めた男
麻雀界を囲碁や将棋のような世界にしたい、そんな理想から始まった年間順位戦。
古川氏は「虚」(タレント) から「実」(競技プロ) への道を拓こうとしたのです。
ここに多くの若者が集まってきました。
その波に呼応するかのように、昭和51年、近代麻雀が新たなタイトル戦「日本麻雀最高位戦」を設立します。
年間100回のリーグ戦
年間100荘打って勝敗を競うという、史上初の本格的なリーグ戦。
特筆すべきは、このタイトル戦に「Bリーグ」が加えられたことでしょう。
最高位を決める「Aリーグ」は、新撰組メンバーを中心にアマチュア団体の高段者やタイトルホルダーで構成。
では「Bリーグ」にはどんな選手が出場したのか。
これがほとんど無名の若者たちだったのです。
年間順位戦の選手が半分以上占めていました。
未来の「麻雀プロ」を創り出す「場」が設けられたわけです。
左から阿佐田哲也氏、古川凱章プロ、小島武夫プロ
大きな場となった阿佐田哲也杯
同時にこの年、プロ麻雀が「阿佐田哲也杯」を創設。
麻雀界の芥川賞を掲げ、有望な若手雀士の発掘に乗り出しました。
ここにも「場」が設けられたのです。近代麻雀やプロ麻雀の誌面を通じて、麻雀プロを志す若者たちの熱気がファンに伝わり始めました。
やがて彼らの知名度も徐々に上昇。
次に若者たちはグループをつくっていきます。
とは言っても現在の研究会やサークルの類いと違って、ただ打つだけ、お互いの腕を競い合う道場のような感じの集まりでした。
有名なのは「謡いの会」。このグループに在籍していた主な選手は次の方々。
田中利春さん・安藤満さん・西田秀幾さん・荒正義さん・瀬田順由さん・青野滋さん etc.
次に勢力(?)を有していたと思われるのが「渋谷若獅子戦」。在籍していた主な選手は次の方々。
久保谷寛さん・森山茂和さん・伊藤優孝さん・ロッキー堀江さん・井出洋介さん・高見沢治幸さん・大沢健二さん etc.
当時17歳だった僕は、縁あってこの渋谷若獅子戦に参加することになるのです。
(つづく)
▲▲▲ ここまで馬場プロの連載より ▲▲▲
▼ 上記は、月刊「麻雀界」2016年10月1日発売号に掲載された内容です。