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第10回. [序章] ~ 麻雀「プロ」の創生、共生、新生 ~➉(バビィの新・「プロ論」)
[更新日:2024/07/30、公開日:2016/12/01]
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月刊「麻雀界」で連載されていた、バビィの新・「プロ論」。以下、「2016年11月1日発売号」の連載内容を特別に掲載させて頂いています。(太字・色づけ等は当サイトにて付与)
▼▼▼ ここから馬場プロの連載より ▼▼▼
『麻雀白虎隊』の結成
昭和51年(1976年)――
近代麻雀が初のリーグ戦「日本麻雀最高位戦」を設立。
プロ麻雀が麻雀界の芥川賞「阿佐田哲也杯」を創設。
有望な若手雀士を発掘し、新たなスタープレーヤーを創り出す「場」が設けられました。
麻雀新撰組(阿佐田哲也、小島武夫、古川凱章)に憧れ、未来の「麻雀プロ」を夢見る若者たちが続々と東京に集結。
彼らは麻雀荘、サークル、研究会などを通じてグループを形成していきます。
当時高校生だった僕は、そういった麻雀界の流れとは別に、学校内で麻雀グループを作りました。
名付けて「麻雀白虎隊」。
おそらく麻雀新撰組のむこうを張ってのことなのでしょうが、今思えばとても恥ずかしいグループ名だったような気が……。
それでも近代麻雀やプロ麻雀の影響は強く、麻雀白虎隊の隊員数は日毎に増え、学内リーグ戦は常時10名~20名、ワンデイマッチの大会には100名近くの高校生が参加していたのです。
これだけ見ても当時の麻雀熱の高さが、おわかりいただけるのではないでしょうか。
麻雀白虎隊はタイトル戦の採譜をしたり、近代麻雀やプロ麻雀が開催する競技麻雀大会に参加していました。
高校生だったこともありますが「未来の麻雀プロを目指す若手雀士たち」とは接点がなかったのです。
あるとき近代麻雀が読者向けの新企画を立ち上げました。
企画名は失念してしまいましたが、サークル対抗の対局企画です。
1チーム4人で半荘4回戦を闘い優勝を競うというもの。
麻雀白虎隊も当然これに応募し、高校生グループが珍しかったのか、出場チームに選ばれました。
そして対局当日、若さゆえのバカヅキか優勝しちゃったのであります。
このとき2着だったのが「渋谷百荘戦」というチーム。
リーダーは久保谷寛さんで、後で知ることですが、年間順位戦の上位卓で闘う「未来の麻雀プロを目指す若手雀士たち」の一人だったのです。
未来の麻雀プロ『渋谷若獅子戦』
対局後、久保谷さんから声をかけられました。
「僕らは渋谷で麻雀のサークルをやっているんだけど、良かったら参加しませんか?」
久保谷さんの隣には当時日大生で、麻雀教室や採譜の場で顔見知りになった高見沢治幸さんがいました。
さらにその麻雀サークルには、年間順位戦で知己を得た井出洋介さんも参加するという…。
麻雀プロとは何ぞや、も理解していなかった僕でしたが、高校生麻雀に飽き足りていたこともあってか、その場でお誘いを快諾。
こうして僕は「未来の麻雀プロを目指す若手雀士たち」と触れ合うことになっていくのです。
ちなみに久保谷さんが主宰を務める麻雀サークルの名は「渋谷若獅子戦」。井出さん、高見沢さんに限らず、この渋谷若獅子戦からは現在のプロ麻雀界の重鎮たちが数多く誕生していったのであります。当時の若手雀士たちの多くが学生でした。
社会人もいましたが、ほとんどが20代。渋谷若獅子戦のリーダー久保谷さんも27歳という若さ。
主だった学生雀士の名前を挙げると、瀬田順由さん(慶大)岡田英一さん(早大)ロッキー堀江さん(東京理科大)高見沢治幸さん(日大)井出洋介さん(東大)青野滋さん(慶大)大沢健二さん(明大)、その他法政、明学、国学院、獨協、東洋、青山、学習院 etc…。都内の主要大学の学生たちが「未来の麻雀プロ」を目指そうとしていたのです。
では、彼らはどういう「麻雀生活」を送っていたのか。渋谷若獅子戦を例に挙げると、まずリーグ戦。お互いに牌譜を採り合い、後で検証&検討会。
さらに麻雀荘で実戦修行と生活稼ぎでメンバー業に従事。
渋谷若獅子戦の場合は会場が「東々」という麻雀荘だったので、学生会員たちはそこでメンバーも務めていました。
僕は近代麻雀やプロ麻雀のバイトや採譜でそれなりの収入を得ていましたが、いかんせん高校生の身の上。
渋谷若獅子戦だけでなく麻雀大会の参加費などでアップアップの状態でした。そこで東々のメンバー仕事を志願。
こうして前代未聞の高校生メンバーがデビューすることになるのです。
(つづく)
▲▲▲ ここまで馬場プロの連載より ▲▲▲
▼ 上記は、月刊「麻雀界」2016年11月1日発売号に掲載された内容です。